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みなさん、よろしくお願いしますm(__)m

 投稿者:nob  投稿日:2005年 9月20日(火)09時48分41秒
  病気(インフルエンザ脳炎)原因の、高次脳機能障害当事者(40男既婚)です。

おお!こんな素晴らしい愚痴れる場があったのですね!!
ひなつさん、皆さんには他でもお世話になってます(__)

ごく簡単に自己紹介させて下さい。
 ※(自分では、最初の頃の事は全く覚えてません。
   特に、羅漢して1〜2年位の事。以下、家族に訊いて知った事です)

5年ほど前に結婚。結婚式をした夜に発熱。
しかしながら、この段階では意識もあり、自分で歩いたり出来る状態だったので
近所の医者に行ったそうです「ただの風邪」と診断され、しかし、1週間位しても熱が下がらずどんどん熱も高くなって来たと思ったら、突然泡を吹いて失神。

慌てて救急車を呼び、搬送された先でも「原因は特定できない」との事で、しばらく
(これまた1週間位だったそうです)意識の無い状態が続き、てんかん発作を起こす様に
なり、その病院では観きれない、との事で某大学病院に担ぎ込まれ、しばらく意識不明。

この時点では「死ぬ」と医師から言われていたそうです。
が、1ヶ月位してから突然意識が戻り、最初は寝たきりだったのが数ヶ月かけて
入院しながら色々リハビリ(この頃の事も覚えてません)。

その後てんかん発作は繰り返しながらも、車椅子→自力歩行→四肢麻痺なし
と、外見は順調に回復。
しかし、どうも会話等がオカシイ事に家族が気付き、医師に相談。
このへんでやっと「高次脳機能障害」という言葉が出てきたそうです。

↓でひなつさんが解説してくださってる症状ほぼそのまま。
その後も様々なリハビリ、紆余曲折を繰り返し、現在に至ってます。

普通に会話してる分には全くわからないそうですが、
地誌的障害/情緒障害/注意力障害・・・etc 結構ヘビー。

どこに行っても迷う(デパートとか特にNGですね。待ち合わせしても同じ所に戻れないし、どこに何があったか?なんて全くダメ。それに、周囲が騒がしいから落ち着かなくて、疲れてしまう・・・)のがまず、困りますねぇ。

それと、諸々の後遺症(特に、てんかんが致命的)の為、仕事を辞めざるを得なくなって
現在、無職。作業所に通ってます。(昨晩、良く眠れず、体調イマイチなんで休んでます)

等々、話し出すとキリがないんでこのへんでやめときます。

こうやってPCに向かい始めたりすると止まらなくなるんです。
文書を簡潔にまとめるのが苦手になっちゃったのもあって、こうして長文になってしまい
気付くと時間が経っていて疲れてしまう(*_*)

でも、ここはそういう事を気にしないで書き込んでいい場なんですよね??
(当然、ネチケットは守った上で!)

  とりとめもない話で申し訳ありませんでした。
  みなさん、今後共よろしくお願いしますm(__)m
 


室蘭発表会

 投稿者:ひなつ  投稿日:2005年 9月14日(水)09時06分42秒
  室蘭 体験談

初めに。 この講演会を開催してくださった胆振保健福祉の皆さん。 保健所の所長様、森高さん。 そして私を紹介してくださった、上川更正ハイムの皆さん。渡辺さん。 本当にありがとうございます。こういう機会があると勿論、私だけではなく同じ障害を持った仲間たちや、支えてくれている団体のコロポックルの皆さん、介護者の多くが待っていたことなので、心から感謝しております。

申し遅れました、体験発表者の谷口尚英です。

このように大勢の前で話すことは、恥ずかしいのですが、実は教壇や野外活動の中で生徒達と共に学んでゆくことが私の夢でした。 小学校から習ってきた武道や高校で英語や野外活動の楽しさを教えてくださった恩師達とも出会い、その両立を目指して海外にて学んできました。
カナダでの語学学習を終えてから帰国後、教員採用試験まで英語学習をしながら市役所の臨時職員を勤めさせていただきましたが、その帰宅途中に交通事故に遭ってしまったのです。
もちろん事故当時の記憶はありません。

『そろそろ自宅療養を始めてみましょうか』
主治医の言葉で退院となりました。

これから今までに至る経緯をお話しますが、はじめに発表の内容を説明します。 その方が話す私の頭が整理されて伝えやすいし、お聞きになる皆さんの『次はこれだな』と思ってからのほうが受け入れやすいとも思いましたので。

はじめに、事故直後の両親の心境を文章にしてもらいましたのでそれをお話します。
次は本に書いてある脳損失の後遺症の説明と私自身の実際の体験談について。
そして配布していただいた履歴についてと続きます。ここでも家庭や社会でどう後遺症が出ていたのかを話したいと思います。
それから自分のリハビリについて。 最後に現在の状況を伝え、これからの目標や向かってゆきたい『夢』について話してゆきたいです。 また、覚えることも難しいので時々メモ帳を見たり文章を読んだりしますがご了承ください。

では母の文から。

『いつものように 一日の仕事が終えて夕食の支度をしていると電話が・・。
それは警察署からでした。

思いもよらぬ事態に全身の力が抜け、頭の中は真っ白。
『本当に息子なのだろうか? 間違いだったらよいのに・・。怪我だとしたら軽いほうが・・』と、いろいろな思いが駆け巡る中主人と二人言葉もなくタクシーに飛び乗り運ばれたという旭川日赤病院へ向かいました。
しばらくして救急処置室へ案内されましたがまぎれもない私たちの息子でした。
朝 いつものように『行ってきます』といって元気に出かけた息子なのに・・・。
重大な事態が今、我々に起きているのに現実として受け止められないのです。
医師の説明もほとんど頭の中に入らずにいましたが、脳のダメージが大きく危険な状態です。 『命が助かっても寝たきり状態か話すこともできないでしょう』と言われました。

当時は日本でも始めて間もない『低体温療法』と言う治療を受けました。
集中治療室では毎日、脳の腫れが強く出たり、それを薬で抑えたりの緊急治療がされていました。 一日2回、10分ずつの面会時間でしたが人工呼吸器の音だけがむなしく響き、かける言葉にもまったく反応がなく『息子は本当に生きているのだろうか?』と心が崩れそうになる日々でした。

そのよう中面会に行くと、定まらぬうつろな目を開けていました。事故から17日が経っていました。
『息子が生きている!』と、その時の喜びは息子が誕生したとき以上の思いでした。 その後、手足も徐々に動かし、話しかける言葉にも頷くようになりに一日と回復してゆく様子に私は身体が回復したらまた、今までの元気な息子に戻れるとばかり信じていました。 当時、高次脳機能障害という言葉さえもまったく知りませんでした。』


これが私の母の書いてくれた事故当時の心境です。



では本と私の症状についてお話します。
症状を説明した本を調べると『これって当てはまるな』と書いてあることと自分の事が一致するとなぜだか『ほっ』としてしまうのです。
恐らく、以前と事故後の自分は違っているので、自分の性格ではなく今は変わってしまっている性格が『障害』として症状を説明した本に認められているのを知り、私が感じた沢山の不安が和らいだとも思いました。

私の損失部分は 後頭葉、部分的挫傷・左側頭葉、広範囲脳挫傷・右前頭葉、大部分損失・大脳辺縁系、海馬萎縮などがあります。

最初に後頭葉から。
後頭葉には地誌的障害が入っております。
私はリフレッシュの為、地図を持ち目的地までドライブへ行きました。 真っ直ぐな道や過去に何度も通った道なら大丈夫。 ですが、右折左折が入ると『今どこにいるの?』と混乱してしまうのです。 そこで持ってきた地図を見れば安心! と思いきや、今自分がどこにいるのかもさえ分からないのですから、この後どうなったかはご想像にお任せします。
大学を卒業し、本州の友人宅に何度も行っていたので『そこに行くのは大丈夫』と思いきや、この時も同じく直ぐ迷子になってしまうのです。
感謝しなければならないのはその友人たち。 必ず、空港や駅まで迎えに来てくれました。行く先々で介助をしてくれたおかげできちんと往復できた事は私にとってかなり大きいです。 さらに不安だったこの時期に何度も行かせてくれた両親にも感謝したいと思いました。このリハビリがとても大きく、今では一人で海外まで旅行や移動が出来るまで回復しました。

次に側頭葉。
私は左側頭葉・広範囲脳挫傷です。
ここの症状をみてみると、『感覚的失語症(ウェルニッケ失語症)と言い、相手の話が理解できず、自分の話す内容が変わってくる』と書いてあります。
本当にそうなのです。 脳、若しくは身体が疲れているときなんて特に。友人や職員が簡単な冗談を言ってくれているのに、それが理解できず、まじめな話だと思い真剣にメモを取ってしまう行動や私が呆気にとられた感じで『放心状態になっていることが・・』。他愛の無いことを理解しようとする時にそういった状態になっている事があるそうです。 何度も相手が繰り返して教えてくれ『こういう風に言ったら分かるかい?』と幼い言葉で返してくれる。 これに対して有難いと分かっているのですがなんだか、悲しくなってしまいます。

『海馬』とは大脳辺縁系(だいのうへんえんけい)で、新しい情報が入ると近時記憶し、それぞれの頭葉へ送られ記憶となります。私の場合も海馬の萎縮と言われました。ここの障害は特に記憶に関する障害や認知障害にあたるそうです。 「あいつあれが出来るのにもう忘れたなんて只の言い訳。 2度3度やっているのに忘れたのですか? やる気ないだけじゃないのですか?」と何度も言われる事です。 自分ではそんなつもりでは全く無いのに・・。これは本当につらいですよね。

そして前頭葉。
その障害の中に、『注意障害』『遂行機能障害』『行動情緒の障害』この三つが私に深く関係していると思います。私の事例と重ねて話してゆきます。

私に大きく出てきているのが一つ目に『注意障害』。
私の状態は右前頭葉損失とあります。
ほかの刺激があると集中できない。これを専門的には集中性と言うようですね。複数の刺激があると同時に注意を向けるので配分ができず二つの事を同時にできないとあります。
『なるほど。』私も何かを行っているときに機械音や雑音、特に高い音など続くとそちらに気をとられてしまいます。 何かの作業中に、他の仕事や用事を頼まれると『これを行っている最中なのに邪魔しないでよ!』という感情が出てきてしまいます。

二つ目に『遂行機能障害』。
行動は正しくとも、無駄が多かったり行うタイミングが悪かったり、同じ事を繰り返すことと書いてあります。
ありますね。場の空気が読めないのです。
『この仕事を任せたよ』と言われると『まずはこれをしなきゃ!』と思ってしまいます。 例えば「式の挨拶から始めようか」と言われても作業がはじめてから言われた言葉だと、式の挨拶が始まっても、途中で止める事が出来ずに、急いでさきほどの請けた仕事を終わらせようとしてしまいます。 結局今、何をしなければならないのかを判断することは簡単そうですが『これをしなければ!』との事項があればそれに集中してしまい、周囲が見えなくなってしまう。
さらに周囲が緊張や不安がっているのを感じると、これを何とかしなきゃ!といった感情が出てきます。これは健常のときでもそうあったかもしれませんが、その状況の対応が認知しきれなく、雰囲気を変え笑わせようとしてしまっています。 『今まじめな話をしているのに、きちんと聞いているのか?』と言われることも多々あります。 これは親しい友人でも職場でも言われました。

そして三つ目に『行動・情緒の障害』
『注意障害のために2つのことを頼まれパニックに陥る。イライラする感情を抑えきれない。さまざまな機能障害のため失敗が続き、うつ状態、被害妄想、欲求コントロールが困難となり欲しい物を我慢できなくなり食べたいだけ食べたり、お金をあるだけ使ったり、理性で抑えられる欲求を抑えられなくなる。』
そうなのですよね。 同時に何かを頼まれると『しっかりやらねば』と強く思ってしまいます。この障害のために『これ以上何かを頼まれることも信用も無くなってしまうのではないか』と不安になってしまいます。賢明に行うのですが、一つの事をやっているのにもう一つのやり方を考えてしまう。 すると、当然集中できずにミスが多くなります。
食べもの。 居間に座ってテレビを観ているとタバコは吸わないので何かを口にしたくなり、台所へ行って何かを食べてしまいました。オカズは取らずにご飯だけどんぶりに2・3杯も。今ではおなかに入りませんけどね。我慢が出来ないのです。
お金の使い方もそうです。 『何か手伝いをしたい』と思い家族の夕飯買い物に行きます。 その買出し内容をメモに取らずに、『これくらい大丈夫』と出かけていました。 実際スーパーに着くともちろん何を買うか全て忘れてしまっています。 『今日は私がカレーを作ろう』と頭に残っていたのでカレールーはカゴに入れました。しかし、ルーだけでは出来ませんよね。ジャガイモやにんじん玉ねぎやお肉と、落ち着けば分かるのですがそこまで余裕がありません。『よし!』と思い自分の好きな飲み物や惣菜、お菓子を入れています。レジに行ってお釣りがあるのならまた買い物をします。それも財布が空になるまでです。

このように金銭感覚は難しいです。 同じ障害の方の多くが思うと思いますが、自分の財布にはお金がありません。何か買うときや欲しい物があった時は『これが欲しいのだけど・・』と頼まねばなりません。すごく抵抗がありました。一つ一つ買い物をするときに『申し訳ないけれど・・』そんな気持ちでした。

本では、行動や情緒の部分で状況に適した行動が取れないということは、場所や相手を考えずにふざけたり初対面の相手に馴れ馴れしい態度で接したりするとありました。 いろいろな所で、気づかないうちにそう言った事をしているのなら、確かに、知り合いはどんどん自分から離れてゆきますよ。

今、私の中にあるいろんな障害が見えていますが、退院後はそういったことは分かりませんでした。 事故に遭ってから『夢』だった教師の道はもちろん途絶えてしまいました。しかし、新聞記事に記載してあるとおり、いろいろと『学ぶ意思』は消えていませんでした。 『やる気』は見え隠れしながらでも残っています。

次に『履歴』入ります。 退院後は何でもないので早く職を!と思い、家庭教師・塾講師をさせていただいたり中途で辞職したりした後、児童養護施設で剣道のボランティア活動として、受け入れていただきました。
その中で社会福祉士の学習のため『佛教大學 社会部社会福祉学科に通信教育で編入』しました。 更に施設では子供たちの移送のため、マイクロバス運転があると聞きましたので、大型自動車免許を取りました。 障害が残っても免許取得や大学の入学はなんとか出来るのです。しかし継続と終了は本当に難しいと実感しました。

そのような中、上川更正ハイムの臨時職員として雇っていただくことになりました。
ここではまだ『交通事故に遭った』と知らせているだけで後遺症の有無については私もまだ分かりません。
そういった状態にもかかわらず失敗しても『大丈夫・大丈夫!これはこうしてくださいね』と笑顔で対応してくださいました。 施設の仲間も時間のあるときにはいつも私に話しかけ笑顔で対応してくれていました。 今思い出しても、本当にありがたいことです。

私の後遺症が誰もが理解しづらく悩んでいた中、両親が『脳外傷 友の会 コロポックル』があることを私に教えてくれました。
『自分とは違うと思うけれど同じ事故の人が居るようなら顔を出してみようかな・・?』これが私の第二の人生、その一歩となりました。 そこではもちろん私と同じ症状の方やさまざまな仲間がいました。 私の家族以外今の状態を理解してくださったことが心強さを生み、私の中に自分が社会の中で生活をしてゆく上での『安心感』がはじめて出てきました。

そして北海道大学付属病院にて精密検査へ。 三つの病院を経て、そこでやっと高次脳機能障害という後遺症に認定していただきました。 ここまで短いようで長い三年が経っていました。
この認定は嬉しいですよ。 今まで『あいつはあぁいう性格なのだよ』『やる気がないやつだな!』といつも誤解されてきたことは、やはりつらかったので。

脳外傷友の会コロポックルの存在を教えてくれた母は、高次脳機能障害という後遺症を社会に知ってもらうために深川市や中富良野市で交通安全の啓蒙活動・講演会で事故に遭ってからの現状を多くの人に話しをしてくれました。 すると聴衆の中に旭川東警察署所所長がおられ『こういった人がいる。取材しては?』とNHKに電話をしてくれたそうです。放送時間は7・8分でした。 その事がきっかけとなり、北海道新聞からも記者が来てくださり、『自分のたちの障害が広まれば社会復帰も出来るかも知れない』そんな思いでした。

 この取材で感謝している事があります。それは記事の中に私が一番病んでいたことの一つである自分が受け入れる事となった『障害』の事と、追い続けていた『教師の夢』について書いていただいたことです。この記事は周囲にうまく伝えられない当時の私の心を表現したものとなりました。

もちろん障害者職業安定所(障害者ハローワーク)においても多大な援助をして頂いています。
この障害は社会にとって未知なもの同然ですから、受け入れる職場も大変です。そこで私の状態や職業について出来ること、苦手なこと、生活や職業能力などを認識するために、千葉県職業準備訓練センターに行きました。
『私は大丈夫!』と思っていましたが行ってみると、やはり気づかなかった難しいことが多々あったのです。その中で一番の難関は『人との接し方』でした。 それまでは家族や周囲の人たちが介護も兼ねていたので『まるく・穏やかに』接してくれていたのでしょう。しかし、社会はそうではないことを実感させてもらった時期でもありました。
特に疲れている時は、周囲のことを気にしない言動だったり、突然無口になったり、ちょっとした事に『カッ』となったりしていたようです。 こう言った事が自分の状態なのだとの認識がなければ今も昔と同じ状態でしたよね。(だからと言って今がすごく良い人かというとそうでもありません)

旭川に帰ってから、障害者ハローワークの所長からケースワーカー・ジョブコ―チで私に合う職を探してくださりました。
一言ではいえぬほど何らかの問題やミスを起こしていた私を支えるため、何度も様子を見に来たり、潤滑油のように職場がスムースになるよう職員に私の得意・不得意を説明したりしてくれました。こういった職業リハビリチームに強く助けられています。
中でも元所長・島崎所長には普段の悩みや相談なども聞いてくれていました。
当時、職業リハビリテーションの講演会でわたしに「当事者からの挨拶」をさせて頂きました。 そのときの経験が今、こうして皆さんの前で話せる自信に繋がっていると思います。

医療の方でもリハビリ科の主治医から各科の先生・ソーシャルワーカーのリハビリチームも援助してくれます。
職がらみの悩みがあっても旭川では誰にも相談できずに限界まできてからの事です。ソーシャルワーカーにその悩みを話すと、私が札幌から旭川に帰宅途中に電話でハローワークに
『こうなっていますよ。ご存知でしたか?』と連絡を取ってくれ、即座に対処してくださったこともありました。
さらにソーシャルワーカーに甘えていたのでしょうね。リハビリや精神神経の主治医の診察が終わり最後に挨拶をしによって話をしてゆくと、いままで先生方に話さなかった症状や悩みの話をしていました。「それって先生方に話した?話すことがリハビリに繋がる治療にもなるのに」とも言われました。
安心できる人が居ると色々話せるということなのでしょうね。
当時、主治医にはまだ『もう治ったよ。大丈夫だよ』と早く伝えたい一心で話さなかったのかも知れません。
誰か一人に話せば皆に伝わり解決するとも思っていましたので。

家庭でも小さなことや大きなこと愚痴や悩みなどを聞いてもらっています。 家庭でのリハビリチームはもちろん親が食生活や時間などの生活習慣。兄弟は友人のように遊びや職についての相談など、些細なことでも言えました。

このように 職業・医療・家庭のリハビリテーションが三位一体となって初めて今の私があると感謝しております。

交通事故に遭っても社会復帰してから周囲からよく
『リハビリはどんなことをしたの?』と聞かれます。
リハビリといって思い付くのは健常者だったときに行っていたことを一通り試みていました。

行動としては、退院後すぐ、アイスバーンにもかかわらずお世話になっていた恩師に『ご心配おかけしました。もう大丈夫です』の一言を伝えに片道、二時間かけて行ってきたり、新聞記事にあるように雪下ろしもタバコを吸わないので数時間休みなしに続けてしまったり、剣道も、もとの形を取り戻せば自分自身も回復するはずだと思い毎日3・4時間の練習に励んだり、先程話しをした通り、職で必要だからと大型自動車免許を取得し、社会福祉学科のある大学に編入したりしました。
只単に『ガムシャラ』でした。

私の事故後の経験の中でまさしく『とにかく色々やってみる。挫折もあり。喜びもあり。それが回復に繋がる』。
こう親の気持ちが伝わっていました。
ご存知のとおり、まだ知られていない障害なのでリハビリの方法や手段は固定されておりません。
だから周囲が『危険だから』と、止めてしまうのも無理もありません。また事故に遭わないようにと。

しかし私の場合は、『色々なことを精一杯する』。
このやり方を認めてくれた一番身近な家族や親にとって、とてもつらい選択だったと思います。失敗しても成功しても、落ち込んでも、愚痴や八つ当たりにも顔を背けず常に耳を傾けてくれます。
それに感謝すると同時に家族への介助も必要だとひしひしと感じました。国からや地方自治体からの相談や支援が欲しいと。

ここで当事者になってから気づいた点を4つお話します。

一つ目。やはり『新しく覚えることが難しい』
でも、今はメモを取り、または相手に伝えてからICレコーダーを使い録音させてもらう。
いろんな方法があったので『新しく覚えられない』という不安は少なくなり、『必ずメモを取る』『毎日日記を付ける』を習慣にしています。

二つ目。苦手な部分が増えたので、もちろん介助してもらう事も多くなっていた。頼りすぎると本人は楽になりますが、大切な自主性や本人が行う重要性が減り、訓練(リハビリ)を忘れがちになっていたこと。

三つ目。脳・身体どちらかが疲れていると特に相手の伝えたいことが理解しづらく自分も違った対応や返答をしてしまう。
最初に話した側頭葉の障害『感覚的失語症』に当てはまることが強く実感しました。 確か事故当時に親が『言葉が話せなくなるかもしれません』と言われたと聞きました。その脳機能がここと関連しているかもしれません。 その障害は相手も自分も一番イライラする事でした。
そうならない為の対処は、自分の睡眠時間をしっかりとる。 温泉や旅行もまた私にとって良き療法です。

四つ目。 朝食をとること。
とても大切な事とよく言われています。
実感したことには朝刊を読む時にありました。
毎朝それ習慣を付けていましたが、朝食をとることで更に大きく違いました。もう、お亡くなりになられた北大の元主治医・真野先生が大きなリハビリの助言に『社説は面白い。これを読む習慣を付けるといいですね』とおっしゃって頂きました。
私にとって社説を理解しようとしても難しく、途中で止めてしまうことが多くありました。 しかし、朝食を摂ってから読むと何故か読めます。 いえ、むしろ読みやすくなったといったほうが妥当かもしれません。
脳の血流もしくは栄養が回ることは、相手の伝えたい内容が理解しやすくなったことです。

こう言った後遺症なので現在、一人で職や生活が維持できているのはかなり難しいと思う。
しかし今こうしていられるのも、それを支えてくれている家族・医療・職安のリハビリチームの環境や職場全体の理解、コロポックルの皆さんの助言や支援があるからだと思っています。
職場でも悩みや相談があれば周囲の職員が気づいてくれ対処してくれたり、所長自ら相談に乗ってくださったり、上部の理事会でも障害のある私自身を真剣に受け止めていただいているのが伝わっています。 このように一人では出来なくとも周囲の温かい心があれば乗り越えられる事が多いとも気づきました。

『それ後でやろうよ。こっち先にね(笑)』との職場で現在の場が読めず他の仕事をしようとしてしまう
遂行機能障害が私に出たときの職員の温かな助言が今の自分自身を勇気付けています。

その他に『発表会があるのですか? その時はゆっくり話すのですよ。難しい・新しい知識を早口で伝えられると、理解する前に次の文章が聞こえて来る。そうなるともちろん右から左に抜けてしまうということですよね。
私見たく年寄りだとそれが強く感じますよ』と笑顔で、佛教大学の試験監督の先生からもまた大切な助言。

大勢の前で『彼はこの職場の若いホープです!宜しく』と言ってくださってから私の隣で
『良いですか?貴方が一生懸命、職に取り組んでいる姿は職員も利用者もみんな見ています。だからミスをしても気にしないで反省をして次に気をつければ良いのですから。後はもっと自信を持つことです。』と言ってくれました。
やはり涙が出ました。市役所の障害福祉課の課長様からでした。

最後になりましたが、アイヌ民族語で『おぴった』という言葉があります。ご存知の方も居られると思いますが、私の職場の名称でもあります。 これは「みんな」という意味で、障害者も健常者も何の隔たりもなく集える場所として付けられました。
『バリアフリー』と似た意味もあります。
このようにみんなが集えて、しかも理解者の多い職場が増えてゆくことは私だけでなくここに居られる方や同じ障害者の方々、そして支援をしている団体の皆さんの望みでもあると思います。

そして今、私はまだスタート地点です。 『え?まだスタートなの?』とお思いの方もいらっしゃるかもしれません。

私は再来月の11月で事故に遭ってから7年となります。
このまま生活や職が続くのか人との接し方は大丈夫なのか障害は悪化しないのか。 問題は無いのか・起こさないのか。不安はいっぱいです。 一生背負ってゆかねばならない障害であるので、自信が持てるのはいつになるのかも分からないからです。

しかし今、私がやって行きたい事ははっきりしています。
こうした機会があればこれからもずっと、多くの方々に高次脳機能障害の後遺症について伝えてゆきたいと考えております。社会全体に認知されるその日まで・・・。
私たちの障害が社会に認められると障害者たちの社会復帰の
 
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質問です。

 投稿者:ちひろ  投稿日:2005年 7月24日(日)23時44分46秒
  事故のあとの後遺症がありながら、結婚したって人はいますか?  
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(^^♪

 投稿者:ひなつ  投稿日:2005年 6月12日(日)22時31分38秒
  こちらも書いてくださり、ありがとう(^^ b
どちらでも、書きやすい方に書いてくださいね(^^)v
 いろいろ現在の事や考え事などを教えてくれてありがとうございます。
ここを観ている人も、助かっていると思いますよ。
 ありがとうございます。

http://homepage3.nifty.com/naozoh/

 
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知らなかった・・・。

 投稿者:ちひろ  投稿日:2005年 6月12日(日)21時53分26秒
   愚痴や悩みを言うページがあったなんて。
 違うページにたくさん愚痴を書いてた・・・・・・。
 これからは、こちらに書きます。
 よろしくお願いします。
 私もおお仲間に入れてください。
 同じ苦しみをもつ人と話しがしたかったのです。
 
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(^^♪

 投稿者:ひなつ  投稿日:2005年 1月 5日(水)20時20分24秒
  ここも観てくれていたのですね。ありがとう。
フクさん、シュウカツですか。
頑張って下さいな(^^♪
 ま、たまには一緒にまた遊びましょうね。
美味しいお店またいきましょう。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:フクダ  投稿日:2005年 1月 5日(水)13時50分48秒
  こんにちは。ひぐまさん、年賀状にボルネオにいるなんて書いてあったし、ちょっと心配していました。よかったです。
もう、しばらくお会いしていないので、また会いたいですね。
僕はシュウカツdayが続いています。また連絡しますね!
 
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きちんと、日記を書いてゆきますね(^^;

 投稿者:ひなつ  投稿日:2004年11月30日(火)19時09分7秒
  最近、いろいろ考える事が多く
ずっと HP や掲示板を記入することの気持ちが湧かず
『やる気』の冬眠中でした(笑)
 少しずつ記入してゆきますね。

 季節の変わり目なのか年末なのか

仕事でもミスが多い・・・。
人の言葉も普段より強い単語に思えたり・・。
何事か、考え事をしてしまうと雰囲気が『ガラリッ』と変わってしまい
周囲がそれを感じ、戸惑ってしまう。

 そう感じると、もっと悩んでしまうのですよね〜〜〜(笑)
ま、とにかく『寝る』!
脳の疲労だけなのかな?こういった現状は・・・。

 自分の体調や雰囲気などが
「あれ?なんか、セカセカしていないかな・・?」
『焦ってる?』
なにか変だな〜〜?と思ったらあまり行動せずに
ゆっくり睡眠をとってみます。

 多分、運動もしていないからなんだよね・・・・(笑)
ストレス、解消しなきゃね!
 

おひさ〜〜〜(^^♪

 投稿者:ひなつ  投稿日:2004年 6月11日(金)23時33分12秒
  こんばんわ〜〜みつきさん!結構、静岡県での食事会でも
みつきさんの掲示板 HP の話も出ているくらいに
大切な『憩いの場』になっているようですよ(^^ b
 また よろしくねm(__)m
 
お得なプロバイダーとくとくBB

σ(^^)のhpの宣伝! 

 投稿者:みつき  投稿日:2004年 6月10日(木)19時32分22秒
  こんにちわぁ〜、ひなつく〜ん!
みつきだよぉーん!(^○^)ノ
突然ですが、
今日は我、ホームページの宣伝に登場させていただきました、 (^∧^;) 
すいません、m(__)m

σ(^^)は、「高次脳機能障害」“目に見えない障害者の叫びと訴え”
といいますホームページの・・・一応、名ばかりですが、受付管理人やってます。
今回、新たに我HPをリニューアルしてみました。
・・・ので、お暇な方は是非、遊びに来てご感想などをお聞かせくだされば・・・そう思い、こちらの方へ書き込みに来させていただきました。 m(__)m

そんじゃ、ひなつ、 夏バテには気をつけておくて!
それでは、またね、・・・・
σ(^^)のページの宣伝で誠に失礼致しましたぁ〜ッ!
         by みつき・・・ε==ヘ(;^^)v
 
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