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城址の冩眞

 投稿者:管理人  投稿日:2005年10月19日(水)14時01分47秒
    このほど、法事で伊賀へ帰省しました。その時、夏見の積田神社を川を隔てて挟む二つの城址を撮影し、「曾爾街道」へ掲載しました。積田神社は、古代の渡河地點で、高島城、深山城は、その兩岸を見下ろす、戰略的な砦であつたことが判る。坊垣と後出の境の土坂から續く小道は、古代の主要な通路で、鏡池が、積田神社の岸へ渡る渡河地點であつたことは容易に理解出來る。  
 

名張市の歌

 投稿者:管理人メール  投稿日:2004年12月 1日(水)16時20分36秒
    名張市が誕生した時、小學校で習ふた憶えがあります。「伊勢の海から吹いてくる」といふ言葉で始まり、「我が名張市よ、榮えあれ」で終ります。途中は、忘れました。御存知のかた、お教へ下さい。
  その時かと思ひますが、名張の町の、下横町、上横町、北出、南出、などが、改名されたと記憶します。
  以上
 

赤目四十八瀧

 投稿者:管理人  投稿日:2004年 2月13日(金)12時04分23秒
    このところ、映畫『赤目四十八瀧心中未遂』の話題で、
テレビ放送などで、誤れる讀み方が溢れてゐる。
「アカメシジュウハッタキ」が正しい、本來の、讀み方。
  「四十八」を「シジュウ」と音讀みにして、續いて「ヤ」と訓讀みにする讀み方は、
正常な國語感覺には馴染まない。
  地名などにはとかく、特別な讀み方をする場合があるが、
赤目瀧は昔から、「シジュウハッタキ」と言ふ。
以上
 

積田神社ぞうく

 投稿者:奈津美  投稿日:2003年 2月26日(水)09時43分37秒
  今年は夏見の積田神社の造工の年にあたります。
平成十五年四月六日、日曜日にお祭りがあります。
その行事予定
一、午前九時より 練り込み(行列)
二、十時より 奉祝祭
三、十一時より 上棟式
四、正午より  餅撒き

念のため、
積田神社は、近鉄大阪線の名張駅から歩いて十分。
名張駅から夏見方向へ進み、名張川の川沿いの道を川上へ進み、
比奈知川と青蓮寺川の出会う隅が積田神社の境内。大きな石の鳥居が目印。
バスの便もあります。

積田神社は、そのむかし、常陸の鹿島の「たけみかづちのみこと」が、
大和へ向かう途中、立ち寄つたところで、大和の春日大社の奥宮とされている。その時、みことは鹿に乗り、柿の木で作つた杖を持つていたとのこと。その時について来た人や、御世話をした人たちの子孫が、今も夏見にいるとのこと。
 

このまえ

 投稿者:びっくりした  投稿日:2003年 2月14日(金)11時39分25秒
  先般、親戚の法事で、関西線の伊賀上野の近くのお寺へ行きました。
  お墓には「寛政」とか「享保」とか古い年号を刻んだ墓石がいくつもありました。
  和尚さんに「このお寺はいつ頃建てられましたか」と訊ねたら
「このまえ、織田信長に燒かれてしもて、よう判らんのや」との返事でした。
  古いですね。
  京都では「このまえの戦争」と言えば「応仁の乱」というのが有名ですが、
伊賀でも「このまえ」というのは「戦国時代」なんですね。
 

書き込み帳を變へました

 投稿者:管理人  投稿日:2003年 2月 3日(月)10時42分14秒
  平成十五年正月二十四日に設けました書き込み帳が、書き込めない状態になつてゐますので、
このたび、新しい物に、變へました。
以上
平成十五年二月三日
 

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