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『常識哲学』

 投稿者:jaspers  投稿日:2018年 8月21日(火)23時07分43秒
返信・引用
  また、なだいなだ著、『常識哲学』を読んだ。
今まで感じなかったのだけれども、なだいなださんはこの本を通じて、実力主義社会を訴えたかったのではないだろうか?
自分で、全ての道を切り開け、そんな実力主義を訴えたかったのではないだろうか?
読者に実力主義を生きなさいと訴えたかったのではないだろうか?
カントを引き合いに出すということはそういうことなんじゃないだろうか?
なだいなださん本人としては、教授になりたかっただろうし、精神科薬をもっと、もっと研究したかったのではないだろうか?
これは邪推だけれどもね。
 
 

オウム真理教と広瀬健一。

 投稿者:jaspers  投稿日:2018年 7月31日(火)00時39分16秒
返信・引用
  ぼくは、そもそも死刑が嫌いだ。
死刑が当たり前、報復権、そういうのは、本当に認められるだろうか?
大人ならば、率先垂範せねばならぬ、というのがぼくの考え。
ちなみに、ぼくは厳しい視点ももっているので、ぼくに報復権を与えたらどういうことになるだろうか?

2つに分けてのオウム真理教の死刑確定囚の死刑も、ぼくは嫌いだ。
その組織のトップ、首謀者、サリン事件でいえば、もちろんサリンを生成した奴が悪いとは思う。
実際に、サリンを撒くのは、ぼくみたいなパーでも出来る。
在来線や扉の開かない新幹線ではなく、密閉された地下鉄でサリンを撒く、しかも霞が関に向けて撒くというのは、意図するものがある。
おそらく、鉄道に詳しい人もいたはず。
だって、どの駅が、どの路線が、地下深くに、そんなものは、ぼくでもなんとなく鉄道の雑誌で見た記憶があるもの。
けれども、やっぱり出来ないわけさ。
ぼくは田舎者だから、車両を汚す、他人の車を汚す、傷をつけるということがイヤ。
組織から命令されても、サリンの液体を傘の先をとがらせたもので刺して車両にばら撒くというのが抵抗がある。
話がそれた。
話を戻す。
死刑を2回に分けて執行となると、2回目の人たちの情報も出てこないし、最初の執行者と2回目の執行者は違うような印象を持ってしまう。
2回目の執行者の中には、名前も学歴も顔も、全く分からない人が数名いた。
そのていどの知識しかないのに、警視庁と神奈川県警は1年以上、ぼくの行動確認をした。
調べてみて、2回目に執行された人たちには、少し同情してしまうところがあるのだけれども、これはブログの方で書いたけれども、最高の教育を受けていてノーベル賞だとかといわれている人が判断を間違うなんていういいわけが通じるはずがない。
ここが悩ましいところだ。
さらに、2回目の人たちは、人々の記憶に残らない。
それでは、死刑が犯罪の抑止力になるとは思えない。
人々の記憶に残らないわけだから、サリンを撒いただけでも撒いて人は死ななくても死刑になる、そんなことを覚えているのは法律家か犯罪学者だけだろう。
2回目の人たちは、反省しているといわれていた人もいるようだ。
そういう死刑囚の思いも、この2回目の死刑が注目されないことで消えていく。
死刑は、それこそ全く生産的ではない。

その2回目の死刑囚の広瀬健一死刑囚の思考の記述を斜め読みした。
読んでいいものか、悪いものか、判断しかねるのだけれどもね。
大学の宗教学の教科書みたいにきれいな文章なんだよね。
きれいすぎて、人間としてのドロドロしたものが感じられないわけさ。
それと、広瀬健一という人は、とても頭がいいということも分かった。
広瀬健一元死刑囚の研究は超電導だという。
この超電導という分野は、学問として相当難しい。
これは、ぼくの研究の指導者もいっていた。
超電導が何故難しいのかということは、ここでは書かぬ。
広瀬健一元死刑囚の文章の論旨が研究なんだよ。
ちょっと知ると、ちょっと理解すると、その奥には膨大な英知があるみたいな論旨なわけさ。
でも、それは人間としてのドロドロとしたものが、ぼくには感じられなかったけれどもね。
斜め読みだから、まだ読んでいない、理解できていないところもあるのだろうけれども。
オウム真理教の死後の世界のことが書かれてあったわけだが、死んだらどうなるか?そういうことは、田舎育ちのぼくは子どもの時によく祖父母からあるいは宗教者からいわれた。
死んだら悪いことをしている人が地獄に行くか?
誰が裁くのか?
こんなことは、大学を出て働いてつい最近まで、ぼくは公言していたのだが、本当に地獄や動物に悪いことをした人が生まれ変わるならば、ぼく以外はみんなそうだ、とね。
ま、ぼく以外のところは本心。
神を信仰していて、またはなにか超越したものを感じる時は、それはぼくにもある。
無神論に近いと思うけれどもある。
だが、生きている人間は、悪をしないなんてことはない。
ぼくから見て、ぼくが悪をはたらいていないだけで、他人から見たらぼくは最高に悪だという人もいるはずだ。
ま、年齢的にも学問的にも、広瀬健一元死刑囚らを説得してというのは無理だろうけれども、2回目に死刑執行された人たちはとてもかわいそうに見えてくる。
でも、それが間違いだということは前にも書いた。

もうひとつは、広瀬健一元死刑囚は、性に関しても真面目過ぎたのではないかと考えてしまう。
若い時は、この性の欲望にまいってしまう。
大学院まで行くとなると、修士で24歳。
大学は、大学に出入りする学生運動にはとても警戒していたけれども、宗教には寛容だった。
宗教の勧誘は、日常茶飯事のような学内で行われていた。
そして、受験が厳しかったせいもあるのだけれども、何としても大学に行きたい場合は、宗教系の学校も選択肢のひとつだった。
そこを徹底して潰しておけば、こんなことにはならなかった。
大学にも問題があったのではないか?
優秀ならば、助手として採用しておけば、結婚も出来て違った人生を歩んでいたかもしれない。
でも、都会の人が田舎に行くというのは辛いだろう。
と考えると、無理だったのだろうか。

なんか、とってもかわいそうな気になる。
でも、それは間違いなんだけれどもね。
 

経験と経歴。

 投稿者:jaspers  投稿日:2018年 7月 1日(日)14時13分47秒
返信・引用
  ぼくの地域の近くで、全国最年少?とかいう町長さんが誕生した。
ま、選挙があっただけマトモだとは思うが。
その人の経歴が出ていた。
進学校に行き、早稲田大学に行き、東京大学の大学院の時に議員になったという。
今日のNHKの情報に、次のようなものがあった。

経済的に厳しい家庭も保護者の関与で子どもの学力向上
2018年7月1日 5時41分
経済的に厳しい家庭でも、保護者が生活習慣に気を配り、本の読み聞かせなど知的好奇心を高める努力をすると、子どもの学力は高くなる傾向にあることが文部科学省などの調べでわかりました。
子どもたちの学力に家庭の経済力などがどのくらい影響するかを調べるため、文部科学省から委託を受けた研究チームは、去年の「全国学力テスト」に合わせて、およそ14万人の保護者にアンケート調査を実施しました。
その結果、親の年収や学歴が高い「上位層」の家庭の子どもの平均正答率は、すべての教科で年収や学歴が低い「下位層」の子どもを上回り、特に「算数B」では21ポイントの差がありました。
一方で、研究チームは「下位層」の中にも成績の高い子どもが一定数いたことからその背景を調べました。
すると、こうした家庭では毎日朝食をとるなど、子どもに規則的な生活を送らせたり、本の読み聞かせや新聞を読むよう勧めたりするなど、子どもの知的好奇心を高める努力をしていることがわかったということです。
研究チームのお茶の水女子大学の浜野隆教授は「経済的に制約がある中でも、規則的な生活習慣を整えて文字に親しむよう促すなど、親の働きかけが学力向上に影響しているのではないか」と話しています。

当たり前のこと。
今の大学生は分からない。
というのは、ぼくたちの頃は、大学が今のようにはなかったし、競争倍率も高かったし、学士が、それなりの地位を有していたからだ。
けれども、今は、そんなことはない。
これは、後輩や先輩批判ではなくて、校内暴力も含めて、管理教育も含めて、酒臭い先生、わいせつ行為をする先生、問題行動に対応できない先生、授業になっていない先生も含めて、ぼくたちがなんだかんだいって引き受けているということを書いているだけ。
ちなみに、ぼくは朝ごはんなんて食べたことがなく登校していた。
読み聞かせなんて、親がやってくれなかった。
母親は、結構、学生の時に本は読んでいたようだが、読み聞かせなんてしてもらったことがない。
ぼくの大学の時のことを書くと、工学部の土木工学科や建築工学科あるいは機械工学科などは、かなり世襲的だった。
医学部医学科なども、まあそんな感じ。
文系もそうだった。
外国語や哲学で有名な学校などは、ぼくの生きてきた生活水準とは大きく違う。
でも、働いてみれば、高学歴の者同士が結婚して、まあそういうことはいくらでもある。
NHKの情報にあるように、低収入で学歴のない親からも、そういう人もいる。
新潟大学の身体の病理学の先生がまえがきみたいなところで書いていたが、≪生まれた時に病気は決まっている。≫なんてことはない。
そんなことをいいだしたら、努力、教育、研修、経験、練習が全く意味をなさないではないか?
努力を無視するようでは、教育者として失格だ。
そして、書いていて思ったのだが、能力というのは試験に突破することではなくて、問題にぶちあたった時の対処なのではないのか?
ここでも、なだいなださんから教えていただいた話を思い出す。
東京大学を出た人が卒業後、ドイツに留学して、帰国後に北海道大学の教授、そして東京大学の教授という、教授しか知らない人がいたそうだ。
ここで話は最初に戻る。
いい学校を出て、あるいは勉強は出来ないが金の力で学位を買い、地元の名士、鉄工所の社長、政治家になっている人は少なくない。
そう、ぼくにはこういう人たちと違って、経歴はありませんよ。
でもね、経験はありますよ。
仕事では、1度投げ出したことはありますが、ま、常人では勤められないようなところにいたことはあります。
かれらの方が明らかに経験はないのに、経験と経歴を履き違えて支配的にふるまう。
メディアは、もっともっとことばにこだわるべきではないのだろうか?
自らが報道機関というのであれば、もっともっとことばにこだわってほしい。
≪問題山積だ。≫なんて経歴主義者にいわせるのではなくて、≪どういう問題を解決してきたか。≫それを語らせるべきではないのか?
 

なだいなださんを思い出す。

 投稿者:jaspers  投稿日:2018年 6月29日(金)22時18分0秒
返信・引用
  最近、なだいなださんを思い出す。
色々なことを教えていただいた。
感謝してもしきれない。
といっても、ぼくには厳しいところがあった。
なだいなださんから教えていただいた学問的なことも忘れられないのだけれども、そういうことよりも人間としての生き方を考えるんだよね。
今、こうやって書いていても、涙が出そうになる。
(ぼくが人に死に触れないのは、なだいなださんとE・フロムの影響が大きい。なだいなたさんは北杜夫さんの死の時に悲しむのであればひとりで悲しめみたいなことをかかれていたから、なだいなださんの死の時からなだいなださんのいうことを実行しているだけ。)
人間としての生き方?
それは、社会と闘い孤独になった人のことだ。
ぼくにそういうところがあると精神科医の視点から見抜いて、孤独であってはならぬ、あるいは人間とは能力ではなくて協調性だ、孤独になると行く先は決まっている、そういうことなのかな?と今までは思っていた。
が、最近は違う視点でなだいなださんからいわれたことを考えている。
孤独に向き合え、そんなことをなだいなださんから教えていただいたのかな?と思っている。
そういえば、太宰治の桜桃忌ということばも最近は聞かなくなった。
なだいなださんが亡くなられてから、なだいなださんから言われた通り、実はあまり本を読まなくなっている。
6月の雨は悲しく感じる。
 

『影の部分』

 投稿者:jaspers  投稿日:2018年 5月13日(日)18時14分8秒
返信・引用
  『影の部分』、なだいなだ著、毎日新聞社を今読んでいる。
何度も読んできたけれども、再び読んでいる。
冒頭の導入部分を読んでいて、≪孤独に対する≫記述は、箴言であり、とても考えさせられる。
その一方で、必要とされる人、必要とされない人、そういう区分もバッチリと書かれていて、ぼくなどは必要とされない人なんだなということを再確認できた。
忘れないうちに書いておこうと思って、記しました。
 

『ぼくはへそまがり』

 投稿者:jaspers  投稿日:2018年 4月28日(土)22時40分18秒
返信・引用
  ブログで書いた、公の学校の教頭先生が自民党から出馬するという話は、よく書けていなかった。
年度初めのこの時期に、辞職って成立する話かね?
こういう人に政治を任せられますか?
教頭先生は激務だぞ。
ま、これも他の地域の話。
文科省の事務次官だった前川さんが辞めた後、愛知県だったか名古屋市だったかの学校で講演をしたところ、文科省は報告を求めたということが頭をよぎった。
ぼくは高等学校は共産党系の学校でした。
それ以外は、自民党の学校でした。
どちらも嫌だった。
なだいなださんの『ぼくはへそまがり』なんて、軽い、軽いというような劣悪な学校でした。
この教頭先生の授業チェックはしないでいいのだろうか?
と書いても、都会の人には、理解できないだろう。
なだいなださんが受けた教育よりも、ぼくの教育の方が封建的なんだからね。
 

「からみ学入門」

 投稿者:jaspers  投稿日:2018年 4月 7日(土)22時26分52秒
返信・引用
  また、なだいなだ著、「からみ学入門」より。
何度も、何度も読み返しているから、こういう記述になってしまい、それが更新回数を増やすことになっている。
それと、なだいなださんに迎合しているように思われたら、ぼくの書き方がヘタなだけ。
「第七章 アル中保安処分問題で法学者にからむ」のところ。
アル中現在のアルコール依存と暴力が、ぼくの地域の昔の定義だった。
それと、晩年に、なだいなださんがアルコール依存に関して書かれたものを読んで「からみ学入門」の「第七章 アル中保安処分問題で法学者にからむ」を読むと、当たり前なんだけれども、もうこの時点でなだいなださんの思考は固まっていたということが分かる。
行政や医者から診断されたアルコール依存の人を何人か支援したことがある。
地域の専門家集団の中に入っても、なだいなださんが「からみ学入門」の「第七章 アル中保安処分問題で法学者にからむ」で書いている通り、まだ閉じ込めておくのが現実だ。
ぼくの地域ではだけれどもね。
そして、そこですさまじくむごいことが行われている。
だから、犯罪者であろうが、なんだろうが、期間が過ぎるとそれこそ≪野放し≫になっている。
ぼくは、やっていないから書けるのだが(免責ではなくて上司の命令には従わねばならぬ。もちろん、意見はするけれどもね。)、この≪野放し≫が地域の悪さのひとつだ。
≪野放し≫にしないというのが、臨床医いや人間関係の仕事の一番大切なところなのではないのだろうか?
毎日、毎日、朝1時間くらい鼻をかみ、鼻うがいを何回もし、なんていう状況なのだけれども、病院に行くと、≪詐病だ。≫なんていわれる。
椎間板ヘルニアもそうだった。
歩くことが困難になり、いや寝ていられなくて、これは何の病気かと思って整形外科に行ったら、椎間板ヘルニアだという。
それまで、何度も足の痺れでかかっていたのに。
以前、地域の救急外来に電話をかけて救急車を使わずに行ったら、医者が部屋に車で1時間。
そして、若い看護士と喧嘩。
そして、処置をして、若い看護士とぼくだけになりそうになったら、「強姦されると大変だから、ここにいようか?」なんていう。
福祉は、もっとひどい。
別の本でも、なだいなださんは書かれておられるが、医療費抑制うんぬんではなくて、人間相手のところってやはり行きたいと思わないと通院は出来ない。
鼻も椎間板ヘルニアも、だからぼくはドクター・ショッピングをしている。
医者は、こちらの経歴を知らないから、以前はどこを受診していたのか聞いてくる。
男の医者ならば喋らずに済むが、女の場合、しゃべらないと診察が終わらないのだ。
だから、どこがヤブ医者なのかということを喋ってしまう。
その病院に通いたい、その医者に診てもらいたい、それが臨床医として最高のものなのに、金を巻き上げて、暴言を吐く、というのがぼくの地域の医療や行政だ。
この前、毎日新聞のネット版に出ていた、英語には、ロンリネスとソリチュードがあり、ソリチュードは個人が孤独を求めるのに対して、ロンリネスは健康に害を及ぼすという概念が西洋ではあって、イギリスでは孤独大臣を置くとかという記事だった。
それがあって、閃いたのだ。
そう、なだいなださんが書いておられた、つなぎ留めておくことの重要性、孤独にしないことの重要性が初めて分かったような気がする。
(高等学校までの日本語がなんと愚かしいことか。経験を積み、知識を獲得して、理解できるようになるのだ。)
でも、気が付くのが遅すぎたかもしれない。
 

からみ学入門

 投稿者:jaspers  投稿日:2018年 3月26日(月)22時10分59秒
返信・引用
  『からみ学入門』、なだいなだ著を読んでいて、現代社会を考えさせられた。
スパルタとアテネという古代史は、社会の教科書の最初に出ていてよく覚えているところだ。
でも、試験で点数を取るためだけに社会をやっていたぼくには、この本を読んで、う~ん、と唸ってしまった。
ちょっと引用する。
「少数の人間が、自分たちより多数の異民族を支配しなければならないんだから、そのためには団結を強固にする必要がある。わがままな人間は、困るということになる。」
ぼくね、若い時、ある公式の会議で今話題の青年会議所の幹部と喧嘩したことがある。
そのことを思い出した。
自分たちの利益がかかっているから、わがままな奴はゆるさないという考えだった。
その人、ぼくと喧嘩してから会議に来なくなった。
行政の指定枠で入り、会社の社長なのにね。
また、地域の行政、警察、大学、学校、そういうところには、≪少数派を支配するための団結≫がある。
ぼく、そういうのには加わりません。
閥って大嫌いです。
現代日本も、何だかんだいって、スパルタと変わりがないように感じてしまったのはぼくだけかな?
 

からみ学入門

 投稿者:jaspers  投稿日:2018年 2月11日(日)16時37分34秒
返信・引用
  『からみ学入門』、なだいなだ著を読んでいて、ふと考えた。
閉じ込めと発狂とメディアの話しのところなんだけれども、これは深い話だ。
閉じ込めは、確かに発狂するだろう。
拘禁反応は、実際に仕事で見てきた。
でも、登校拒否なんかと、実際はあまり変わらないのではないかと思ったりもする。
逆に生まれた時から、実質的に自由のない生活を強いられている人もいる。
その人は、閉じ込められているとは感じない。
そんなことを考えていたら、メディアの世論調査を思い出した。
あなたは、現在の自民党政権に、あと、どれくらい我慢できますか?
なんて質問をメディアは、何故しないのだろうか?
閉じ込めって、つまるところ、こういう質問と同義でしょ。
ぼくはそんなことを考えてしまった。
 

常識哲学

 投稿者:jaspers  投稿日:2018年 1月31日(水)23時31分54秒
返信・引用
  書き忘れるところだった。

また『常識哲学』、なだいなだ著を読んだ。

相対的に考えないで、絶対的に考えてしまうと、どうなるのだろうか?
というのは相対的に考えるから、苦悩が増すのではないかと思ったから。
これは、聞いておきたかったこと。
何度、読んでも新たな考えが出てくる。
 

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